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それでも生きていける場所を

みんなのとしょかん、代表の川端です。
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たまに不安が襲ってきては、無性に本を読み漁ります。
としょかんの設置をすすめている際は特にそうです。

この活動をしている中で常に思うことがあります。
「過疎、高齢化が進む地域の未来はどうなるのか?」
「そんな中で私たちの行う事は地域の邪魔にならないか?」

人口減少が始まっている中で、
経済的な生産性が衰退する地域。
そこにはどんな未来があるのか?
経済的な視点で言えば、かなり厳しい、としか言いようがありません。
「厳しい」なんて簡単な言葉では表せないほどに。。

ただし、経済とは別の視点で考えた時、その答えは少し異なってきます。
もちろん、医療や介護など、クリアすべき問題は山のようにありますが、、

私自身、会社という場での経済活動にも身を置いていますし、
お金の大切さと残酷さを知っているつもり、の人間です。
だから、経済を、お金をないがしろにするつもりは毛頭ありません。

コミュニティが育っていく、それは元来とても手間の掛かるものです。
そしてお金はその手間を省くことが出来る便利な道具でもあります。
そして、コミュニティという手間の掛かるものは、
貨幣で買える「サービス」というものに変換されてきました。。
近所との交流も、
年老いた世代の世話も、
お買い物の代行も、
庭の掃除さえも、、

水や食料、さらにはエネルギー、
生きていくために必要なこれらのものを現物として貯めておかずとも、
交換できるツール、それがお金の本来の姿であるはずです。

繰り返しとなりますが、
それが悪い訳ではありません。
それによって生きていく事が出来る人がいるのもまた事実です。

経済が全てにおいて至上のものであれば、
そこで通じるお金というものの価値は絶対的です。

ただ、地域はそれが少しだけ違っている時があります。
お金はもちろん大切なのですが、
地域のつながりという、いわゆる「手間」も大切にしている、
そんな姿勢が残っています。

お金は大切です。
でも、経済的に不利な環境に立たされる地域が、
都市部と同じようなシステムでは、やはり不具合が生じます。

それを補うものが、コミュニティなのかもしれません。
お金の代わりに「手間」を掛けることによって、
「サービス」は受けられなくても「お互い様」で助け合える。
貨幣価値に換算すれば、相当な価値になるはずのものです。
もちろん換算なんか出来ませんが。
でも、そんな価値のあるものが地域には存在しているのです。
経済活動で賄いきれないものを埋められるほどに。

経済というものさしで測るのか、
コミュニティというものさしで測るのか、
つまりは人の価値観によって、その優劣は異なります。

だから、もう少しこういった考えがもう少し明確になって、
自分の住む場所が選択できる時代になればよいなぁ、と考えたりします。
経済と利便性を主流(?)とする都市部。
経済性は低いものの、コミュニティで補いあう事が出来る地域。

私はそのバランスのとりやすい、地域が好きなのかもしれません。

経済活動はこれからも重要ですが、
もし、
私が無一文になり、家を引き払う羽目になったとしても、
せめて家族にその日の食事と、空いている部屋を貸してくれるような、、
厳しい事があっても、それでも生きていける地域もあってほしい、と思います。

経済活動が潤滑に回りづらい地域こそ、
その活動を補充してくれて、いざという時に支えとなってくれる、
ある意味、保険のようなコミュニティは今後不可欠だと思います。

私は欲張りな人間ですので、
お金もあったほうが良いと思いますし、
いざという時に支えてくれるコミュニティも必要だと感じています。

そんなコミュニティを醸成できる場として、
「としょかん」があってほしい、、
作り手として、そう思っています。

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